2017年6月1日木曜日

ベルニさん、お元気で!


ベルニさんが去年の9月フランスへ帰りました。
予定では3ヶ月の休暇だったんですが、そのままフランスに住んでいます。
そして今はフランスで働いています。
彼から手紙をもらいました。

”私はフランスに帰っても、慣れるまでに時間がかかりました。
友達や家族に会って忙しいですが、祈りの時間をきちんと取らないとバランスが悪くなるので気をつけています。

今回の目的は休みでした。今は体調は良いです。睡眠のバランスを見つけるのに二ヶ月かかりましたが、仕事もできるようになりました。
家族や友人、心の港のメンバーなどが支援してくれて、とてもありがたいです。生活と仕事のリズムもよくなってきました。
午前中は畑仕事、午後は恵まれない子供たちの支援をしています。
ここではいつも、愛する日本のことを思い出します。
日本語の勉強は休憩中です。勉強を頑張りましたが、全然上達しませんでした。
なのでまた日本でミッションをするのは難しいと思っています。
まだミッションは終わっていないし、日本は居心地が良かったので、とても残念に思っていますが、日本のためにいつもここでお祈りしています。
連絡しなかったことで悲しい思いをさせていたらごめんなさい。
日本にいたときに大変なことはたくさんありましたが、今私が元気になったことを喜んでいただければ幸いです。

心から友情と愛をこめて。”

ベルニ






ハイージさん、ありがとう!!

ハイジさん、ありがとうございます。
~みちのく潮風トレイルを歩いて~

 「みなさん、みちのく潮風トレイル*¹を知っていますか?」「はい、知っています」と答えたあなたはハイジさんのお友達か、あるいは東北の観光に詳しい人です。ハイジさんは青森県八戸市から福島県相馬市までの太平洋沿岸のトレイルに約2か月半かけて挑戦しました。ちょっと説明すると青森県⇒岩手県⇒宮城県⇒福島県の東北の太平洋側すべての県を通る約700キロのロングトレイルです。東京・仙台間の往復距離*²くらいと考えてください。このロングトレイルは2011311日の大津波の被害にあった地区と重なります。
彼女はこのトレイルを通して震災で被害を受けた人々と交流をしました。震災から約6年経過しています。復興途中ですが、メディアに取り上げられる機会がめっきり減りました。そのような状況で、外国人である彼女が地元を歩いて、被災体験に耳を傾けたことが地元の人にとってどんなに嬉しかったかと私は想像します。また、実際に目撃もしました。私が同行したのは宮城県気仙沼市から南三陸町でした。リアス海岸*³が目の前にあり敷地内にJRの駅がある旅館は震災で浸水していました。ハイジさんは旅館のおじさん、おばさん、近所のおばさんといつの間に会話をしているのです。彼らはハイジさんに辛くて悲しい体験を語っていました。しばらくたつと彼らの表情に明るさが次第に出てきました。それはまるでハイジさんとの会話でこころが和んでいくかのように。
スペインのサンチャゴ巡礼路は約800キロ、みちのく潮風トレイルの距離とすこし近いです。ハイジさんとっては巡礼の旅、被災地を訪ねる旅だったのでしょう。私にとっては被災地・宮城県、大げさに言えば日本人と日本を再認識できた貴重で驚きの体験でした。この旅を通し:彼女の純粋な心、憐み深さ、寛大さ、やり抜く力、勇気を目のあたりにして、尊敬の念を感じました。「ハイジさん、ありがとう。」

*1 みちのく潮風トレイル:環境庁が整備しているロングトレイル。平成30年度の全面開通を目指す。沿岸部は断崖・リアス海岸などの風光明媚な沿岸部だけでなく、山・森のトレイルもある。震災を受けた地区でもあり「復興の道」でもある。
*2 東京都庁から宮城県庁まで、東北自動車道経由で約362km
*3 リアス海岸は湾がいくつも入り組んだ海岸のこと。代表的な所は三陸海岸であり、岩手県から宮城県の太平洋沿岸。


三浦明美



私の親受なるハイジちゃん
ハイジちゃんは誰にでも笑顔で
やさしく包みこんでくれます。
何かあった時、何もなくても
ハイジちゃんの笑顔に何度も
いやされ救われました。
子供の事も大好きで、私の子供も
ずいぶんたくさん一緒に遊んで
もらいました。
ハイジさんと知合えて
あっという間の1年間でした。
今まで会いたいと思ったらすぐ
会いに行ける環境でしたか
これからは遠い場所に帰ってしまいます。
本当に残念です。
しかし、私達家族は必ず
ハイジちゃんに会いに行きます。子供達が大きくなるまで

シンガポールで待っていて下さい。

祢津 緑

一緒に生活方の自己紹介: