2020年9月24日木曜日

聖シャールル・ド・フーコー神父のメッセージ

福音にもどりましょう。

私たちは私たちのうちに生きてはくれかい。
シャール・ド・フコー神父はアルジェリアの砂漠の町で1901年に「兄弟の家」を始めました。たった一人でしたが町の住人、近くから遠くから訪ねて来る皆さんに自らを皆の友人、「兄弟シャール」と呼ぶように願いました。「福音にもどる。」とは福音のことば、主イエスの教えと他人に説明したり、それに基づいて説教する事ではなし、ごく普通の生活の中で、主キリストの平和と呼びを他人と「分かち合う」ことなのです。

「あなたがたによく言っておく。これらの私の兄弟、しかもも小さな者の一人にしたのは、私にしたのである。」(マタイ25章40節)このイエス様のみ言葉こそ兄弟シャ-ルの第二の回心を引き起こしたもので、次に話す出来事によって主キリストの真意が示されることになった。兄弟シャ-ルはサハラ砂漠の奥地の集落でたった一人で「兄弟の家」を開いていた時期に重い病気にかかり動くかけなしなりました。
その時、イスラム教の村人たちは人間らしい良心に促がされて、キリスト教の隠者(マラブー)である兄弟シャ-ルの命を救うために山羊の乳を周囲200kmにもわたって文字通りかき集め、彼に飲ませてくれました。この時期、サハラ砂漠がかんばつに見舞われ、山羊でさえ飲み水と青草に事かいていた事実を思う時、この村人たちの英雄的な、無私無欲の行いに心を打たれます。上記の福音のみ言葉はキリストの弟子たちに向けられたものですし、兄弟シャ-ルも実行してきた教えですが、本人が病に倒れるという事態のさ中でイスラムの村人たちがキリスト教の隠者(マラブー)の命を救う事になるとは。。。

わたしは天から降って来た生けるパンであるこのパンを食べる人は永遠に生ける。
(ヨハネ6章51節)
兄弟シャールの生涯は主キリストから授かるご聖体によって文字通り活かされた生涯であった、と言うことが出来る。
教皇フランシスコは最近若い人人に向けて「キリストは生きている」という本を出奔されたが、兄弟シャールにとって、毎日頂く聖体、キリストの体こそ「キリストは生きている」という不思議な信仰の真理の体現なのです。
冒頭に掲げた兄弟シャールの呼びかけを次のように言い替えても今の私たちの心に響く呼びかけになるでしょう。

御聖体にもどりましょう。

私たちが御聖体を生きなければイエスは私たちのうちに生きてはくれない。

塩田希神父



父なる神に身を託す祈り

わが父よ
この身をあなたに委ねます。思いのままになさって下さい。
どのようになさるとも感謝します。
すべてに備え、すべてを受け入れます。
み旨が、この身と、あなたのお造りになった
全てのものの上に行われるのでしたら、
わが神よ、そのほかの何事をも、私は望みません。
私の魂をあなたのみ手に委ねます。
あなたを愛していますから、心を込めて捧げます。
わが神よ、果てしない信頼をもって、この身を限りなく、
あなたのみ手に捧げよと、愛が求めてやまないからです。
あなたこそが私の父だからです。

――イエスの小さい兄弟 シャルル・ド・フーコー













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