2018年1月23日火曜日

シャノンの紹介文

こんにちは、
私はシャノンです。私はアメリカ・コロラド州出身です。日本に来る前はケンタッキーでボランティアをしていました。家の再建や修理を手伝っていました。
四人家族で母は歯科医院勤務、父は教師であり様々なスポーツ競技の審判もします。妹はカルフォルニアの大学に通っています。 スポーツをするのが好きです。特にアルティメット*と山歩きです。それから、祖母のフィリピン料理を食べるのも好きですが、食べるだけではなく近所で料理を作ることも度々しました。
私は1年半程「心の港」でボランティアをする予定です。イエスキリスト様と聖母マリア様のように人を愛し生きることを学びたいです。コミュニティーでのシンプルな暮らしと祈り、友情を通して達成できるはずです。今のところ納豆が好きです。日本というアメリカとは全く異なる文化の体験、日本語の習得、そして友達と過ごす時間も好きです。新しい年を迎えてとてもワクワクしています。

  宜しくお願いします。
シャノン    
*アルティメット:バスケットとアメリカンフットボールを合わせた様な競技、フライイングディスクを使う。
一緒に生活する方の自己紹介:

アルティメット : 

2018年1月11日木曜日

カーシャの思い出



 カーシャと言えば私の印象は「言語の才能に溢れている人物」の一言です。最初に実感したのはカーシャが来日して間もない頃の出来事です。たまたま心の港を訪ねた時、外国人なまりの日本語が遠くで聞えました。しっかりした日本語で内容がきちんと理解できるものでした。心の港の門に近づいた時に声が家からではないことが判りました。そして、近所の庭にいる後ろ姿が見えました。声はカーシャからでした。日本語も来日当初から高いレベルだったことを物語ります。
 「言語の才能に溢れる人物」をあらわす次のエピソードは帰国を1か月前に控えたころです。外国出身だけど長らく日本に住んでいる方と昼食を心の港で共にした時です。その方と私たちの共通言語は日本語でした。身の上話を始めたその方の日本語を他の人のためにカーシャは英語に通訳しました。日本人の私ですら、理解が難しい文章を整理して英語に訳していました。正直言って、私は英語を通して理解した程です。
 言語の才能あふれる彼女と出会えたことにとても感謝します。特に2番目のエピソードは印象が強いです。何か国語も操る人物の才能を初めて目撃しました。日本語の基本があったので積極的な行動によって彼女の日本語は更に磨かれたと思います。そんな彼女の将来は大きな可能性があるはずです。彼女の才能が花開くことを祈っています。


三浦 明美















2018年1月2日火曜日

メリークリスマス、明けましておめでとう!


"天使たちがれて天に去ったときいたちは、「さあベツレヘムへ行こ主が知らせてくださったその出来事をではないかし合ったそして急いで行ってマリアとヨセフまた桶に寝かせてある乳み子を探し当てたその光景をいたちはこの幼子について天使がしてくれたことを人々に知らせたいた者は皆いたちのを不思に思ったしかしマリアはこれらの出来事をすべて心にめて思い巡らしていたいたちは見聞きしたことがすべて天使のしたとおりだったので神をあがめ美しながらって行った。"
ルカによる福音2。15〜20

皆さんへ、

2017年、グログを読んでくれてありがとうございます。

今年も宜しくお願いします。
2018年も世界の「心の港」のニュースを発信しますので見て下さい!





Happy Year of the Dog !

MERRY CHRISTMAS

HAPPY NEW YEAR





2017年12月12日火曜日

準備中

待降節 第2主日


マルコ福音 11-8

神の子イエスキリストの福音の初め。
預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かかんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

 

皆さん、
私たちは、待降節を主の降誕祭への準備の季節として見ていますが、主の再臨にも向かっています。そう言う意味では、私たちは常に“準備中”と言えるでしょう。
日本では、“準備中”と言う札があれば、まだ入れないと感じますが、同時に安心して、レストランや店が営業していると確認します。
私たちは一年中休業なしですね。お祝いを迎えるとき、目指している出来事への歩みを支えて、目的に達する確信を抱くでしょう。準備の状態の中にいる私たちは特別な務めを果たすべきと認識します。
しかし、そんなに長い期間なので、現在の状態に留まる危険が潜んでいます。今日、そうならないように洗礼者ヨハネとイザヤの声が私たちの役目、大きな役目を思い起こさせます。彼らの声に耳を傾けると何か緊急な呼びかけを感じます:今すぐ、この準備の為に力を尽くすよう私たちを促しています。彼らの見方から見れば、私たちは休暇を取ろうとしていたので、希望の務めに戻らせようとしています。希望は休みません。満たされるまで、安らぎを知りません。
第一朗読では、イザヤの預言はすでにこの確信を持っていました。彼にとっては、神は全てを新たにしてくださいます。過去の過ちなどに目を留めることはありません。ご準備のためにを慈しんで、皆に慰めと励ましを与えて、全ての約束を再び実現されると決心しているようです。解放された民は更に美しい希望に導かれています。これから、神さまは、自ら、民の為に羊飼いとなって、豊かに、平和のうちに、皆救いを味わって行くと預言者は力強く述べています。
主イエズスの到来によって、これが実現されました。では、もう“準備中”の札は外しても良いでしょうか。まだ、まだ。今も、神は働いています。み言葉では、私たちはこのわざに協力するよう招かれています。主イエズスの恵みのうちに、愛と平和に満たされている世界を調えている神と共に、私たちは力を尽くしています。
ずっと、“準備中”の札を見ている人々は、不思議に思っています:“一体どういう物が現れて来るのか”と期待するでしょうが、私たちは預言者の役割を持って皆この準備に加わるように働き人を募集しましょう。
私たちの心にある“準備中”の札を正しく読めば、待っている出来事の言葉で通訳すれば、回心の呼びかけです。しかし、普通、回心の響きは過去の生活に対して受け止めますが、待降節の間、将来に合わせるように招いています。私たちはいつも信仰の生活の中で一歩を踏み出して明日に向かって行きます。今日、始まりの日として見てみます。
今日のみ言葉は、私たちにマルコ福音書の聖書の言葉:“神の子、イエズスキリストの福音の始め”を伝えています。私たちは主の降誕を祝いとき、神の子であり、キリストであるイエズスの誕生を迎えます。彼こそ、福音、良い知らせです。彼のうちに新しい時が来た、新しい世界も生まれました。
私たちはこの新しい創造の完成に向かっています。神は何か始めたら、必ずこれを成し遂げると私たちはかたく信じています。途中で、投げ出す事はしません。例えご自分の民が罪を重ねたとしても、神は忠実に救いの計画を守ってくださいました。

ラトゥル神父(ドミニコ)