東京の大学生、諫山 望さんが東北被災地のボランティア活動をとうして私たち(ブログ読者)に感じた事を伝えるためにレポートを寄せてくれました。
2年間の活動から得られたこと
この経験を通して私は多くのことを感じ、知りました。私は去年度の選択宗教のボランティア活動で宮城県に行ってきました。震災そして津 波の被害にあった海岸や、波が押し寄せて来た町中。唯一水につからなかった小さな丘の上にも実際に足を運びました。また、被災者の方々のお話を聞きまし た。話されているうちに涙を流し、息を詰まらせる場面もたくさんありました。また、私たちは原子爆発の怖さもこの震災を通して教えてもらいました。しか し、この怖さは、初めてではありません、ロシア、チェルノブイリでも私たち人間は同じことを繰り返していました。なぜ私たちには、同じ過ちを繰り返してしまうのだろう。そして、今なぜその危険性を身を以て体験したにも関わらず繰り返そうとして いるのだろうと疑問に思いました。そして、今も思っています。その翌日、仮設住宅に暮らす方々とみそ作り体験を一緒にし、その後は私たちが準備した出し 物、ソーラン節と絵しりとりを私たちの応援の気持ちの形として残してきました。仮設住宅に暮らす方々はとても温かく私たちを孫のように暖かく、包み込んで くれました。とても心の温まるものを私たちは感じ取りました。よく、『元気を与えるどころか私たちの方が元気をもらった。』と聞きますが私は、そうのこと をこの考えます。『お互いの思い、願いが通じ合いそこに人の暖かみを感じ合う。』
さて、今年度のボランティア活動では、岩手県に行ってきました。今年の活動では、被災地を知る、そこに住む方々の生活や地域を知ることを通しこれからのボランティア活動の行方を模索させられるような日々でした。
現地では、特産のお弁当を頂き、その地位あるキリシタン由来の地に行きました。そこには多くの人の願いが詰まったおり、そこで行われた キリシタンの迫害の歴史を学びました。その後、津波により生活の場を奪われ震災後、復興に向けて歩んでいる商店に行き津波が街を襲ったときの様子を聞き、 その後別の方からももう一つの経験を聞きました。話の内容は、仮設住宅での生活で起きた出来事でした。それは決して美しいものでは決してありませんでし た。信頼していてご近所さんから根も葉もない噂をされ、限られた小さな地域社会で起こった出来事を涙をこらえながら私たちに伝えてくださいました。街の様 子についてはテレビで報道を通じ外見的なことを知ることは簡単です。でもこの出来事の潜 在にある人と人ととのよい面、例えば助け合いのみではなく、人間が持っている悪い面も知ることができました。
翌 日は教会の子供たちとの交流会でふるさと村にいきました。そこでは、地域の伝統芸能の染め物の体験、語り部さんのお話を聞くなどの体験を子供たちとしまし た。1日の終わりには室内キャンプファイヤー、教会の神父様の出身であるフィリピンの歌を教えてもらいその他にも簡単な単語も教えていただきました。その 他には、今回一緒に参加していただいた仙台を中心に活動をしているフランスのボランティアグループのフランス人の方々から、日本語を勉強しているドイツ人 学生の方から祖国のゲームや歌を歌い、遊びました。
今回の活動では、それぞれの国や出身地のことをお互いが紹介し合いそれを知り新しい糧としていく。その糧から新しいこれからの支援の行方を探していくこと が私たちのこれからの課題になっていくのだと思いました。私たちに求められるもの、2年前までは現地でのがれき撤去支援物資でした。では それらのものが送られたら終わりなのでしょうか。まだ仮説住宅で暮らしている方々もいますが、続々と新居に移り住んでいます。残されていく方々の気持ちは どのようなものなのでしょうか。新しい生活を始めたら今までの生活を過去のものにしてもいいのでしょうか。自分の住んでいる地域で起こったことではないか らどこか人ごとになりがちになってしまう。それはその地域について知ることで人ごとにはなりにくくなると思います。過去としてしまうのではなく、いつも心 に留め置くこと、そしてそれを未来に伝えていくことが必要です。しかしそれはとても 難しいことだとも実感します。戦争を体験していない私たちが戦争の本当の恐ろしさを実感として知らないようにこれから、この出来事を体験していない人に実 感として知ってもらえるためには。
いろいろなところを知った今私は一つの場所の復興と成長を見守りそのことを実感として知ることが出来るように伝えることしたいと思います。それは、日本だけでなく国境を越えた意味で。日本から学んぶこと、伝えていくうえで学ぶ海外から学ぶ日本もあると思います。
諫山 望
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