2015年4月7日火曜日

仙台『心の港』のメンバーさんご紹介です 5/5

ミュレル・シルヴィと申します。フランスのアルザスから来ました。残念ながら20代が終わり32歳です!日本で「心の港」のセンターを設けたときから仙台にいます。東日本大震災の翌年の2012年10月4人で仙台へ来ました。まず初めに日本語を学び、ボランティア活動を始めました。時が経つのは早いものでもうすぐ3年になります。「心の港」のメンバーですから、日本での活動の期限が決まってはいません 。「心の港」のボランティア活動は10年前アルゼンチンで始めました。1年間半のボランティア活動を終わりブラジルに6カ月行きました。
この間スラムの中で住んでいました。その生活の中でお金はなくても心がゆたかな人々に出会い、自分の心の目が開きました。
この経験から人々に寄り添う生活をしていきたいと思うようになりました。
しかしその後半年パリでごく普通の生活をしました。その中でやっぱり「心の港」の生活が私の生き方だと強く思いました。パリの生活を辞めてニューヨークの「心の港」で3年間ボランティア活動をしました。ボランティアの後1年間フランスに戻り、「心の港」の精神や歴史を1年間学びました。日本に来る前は1年間スイスで「心の港」の活動を広めることやボランティア活動などをしていました。


では宜しくお願いいたします。


一緒に生活する方の自己紹介:
ジム
アレ


2015年4月2日木曜日

ヨハネ.パウロ二世~死去から10年間


  
「戦争は人間のしわざです」「戦争は死です」





教皇ヨハネ.パウロ二世 :
1920年5月 ~ 2005年4月


ローマ教皇:
1978年10月 2015年4月2日






ヨハネ.パウロ二世は、1981年2月23日から、26日まで、広島市と、長崎市を訪れ、日本語  で、「戦争は、人間のしわざです」「戦争は死です」と語りました。1981年2月25日広島市にて語られたスピーチは、日本でも有名になりました。

こちらは、そのスピーチです。



今日、 4月2日は、教皇ヨハネ.パウロ二世の死去後10周年記念日です。

ヨハネ.パウロ二世の祈り
”人間ひとりひとりと諸国の民の母マリアよ、私達をおびやかす悪の力に打ち勝てるようお助け下さい。 現代人の心にこれほど容易に根ざしてしまう悪、そのもたらす計り知れないもろもろの結果によって、すでに現代の人々のいのちを危険にさらし、未来への道を閉ざそうとしている悪から私達をお救い下さい。飢餓と戦争、核戦争、計り知れない自己破壊、あらゆる戦争より、主よ、私達をお救 下さい。 あがないと救いの無限の力、神の慈愛の力が世界の歴史において、再び発揮されますように。 神の慈愛が悪をおしとどめ、人間の良心を正し、あなたの汚れなきみ心によって、希望の光が全ての人々に示されますように。”







2015年3月31日火曜日

ニュースレター 3月2015

皆さん、
こちらは3月のニュースレターです。
ゆっくりお読み下さい。






2015年3月18日水曜日

Merci mille fois!

2013年の9月から日本へ来て活動してきたステファニさんが 3月でフランスへ帰ります。

ステファニさんは、たき出しや夜回り、仮設住宅や病院のホスピスの訪問などに、本当に心から尽くしてくれました。
日本語も上手になり、ほとんどかんぺきに話せるようになりました。

本当にまじめで、明るくてやさしくて、神さまの愛のような人です。
一緒にいると、心が満たされます。

知らない国にひとりで来て、ボランティアをして、つらいこと、大変な時も多かったと思います。それでもステファニさんは、毎日笑顔で、困っているひと、悲しんでいるひとのために努力していました。これはとてもむずかしいことだと思います。

どうしてそんなことができるのかと聞くと、ステファニさんは「それは愛だからです」と答えました。私は1番大切なものをその時に知りました。

一緒にミサへ行ったり、スポーツをしたりして、ステファニさんの愛をすごく感じました。どんなときも私を受け入れて、愛を与えてくれました。言葉を言わなくても心が通じたのは、私にとってはじめてです。

ステファニさんと共に過ごせたことは、至上の喜びです。

はなれることはとてもさびしいですね。
だけど来てくれて本当にありがとう。


宮城徳久

ステファニさんの自己紹介 :









2015年3月10日火曜日

3.11 〜 希望の象徴であることを

菅原マリフェさんは岩手県陸前高田市に住んでいます。20年前にフィリピンから日本へ来ました。震災をきっかけにPAGASAを立ち上げ、そのリーダーとなりました。PAGASA とは教会のフィリピンのグループです。
タガログ語で「PAGASA]は希望という意味です。

菅原さんから3.11のメッセージを載せたいと思います。



   今年の3月11日で東日本大震災から4年経ちます。
東北に住んでいるフィリピン人にとっても忘れがたい経験ですし、もう二度と経験したくないことです。
   しかし、この出来事は私たちに多くの学びをもたらしました。心に深く刻み込まれ生涯忘れることができない学びとなりました。
この震災によって私たちは神様と、より近くなりました。
   その日から、諦めず、立ち上がり、新しい生活を切り開くために、かつて理解し合えないと互いに思っていた人たちとも手を取り合い、助け合うことを大切にする日々が始まりました。
   新しい生活を始めるのに遅すぎるということはありません。
フィリピンの人々は諦めない、そして前向きな気持ちを持っている人たちです。
私はPAGASA を代表して皆さまに伝えます、私たちは被害者ではないということを。私たちは希望の象徴であることを。

菅原マリフェ





2015年3月9日月曜日

サンキューの日

今日は3月9日です!
39=Thank YOU
日本では、39はサンキューと読めるので、サンキューの日になります。
このブログに文書を書いた人たちに感謝します。
皆さまいつも読んでいるのでTHANK YOU!
これからもガンバって書きたいと思っています。
ミュレル シルヴィ



2015年3月3日火曜日

ステファニさんが福田町南仮設住宅の活動を紹介します!

福田町南の仮設住宅に行くようになって二年になりました。

毎回あつまりでは特別活動をします。歌を歌ったり、体育をしたり、その後でお茶会をします。
このあつまりに来る人はだいたい年配の方たちです。一人暮らしの方や家族と一緒に住めない方もいらっしゃいます。


私は最初に行った時、15人ぐらいお茶会に来ましたが、だんだん人数はすくなくなって、マンションに引っ越した人も多くて今は5人になりました。


引っ越した人もお茶会に来ます。

お茶会がなくなる日まで参加するのが大切だと思っているのでこれからマンションにも、出来たら、その方々に会いに行きたいです。

ルセル ステファニ